【映画レビュー】『異端者の家』 ヒュー・グラントの存在感が際立つ!「宗教」への思想が飛び交う異色のスリラー
- 黒野でみを
- 4月15日
- 読了時間: 6分

宗教というテーマは、ある意味近年日本でも旬なものであるといえるかもしれません。その普遍的な必要性が語られる一方で、今この言葉はネガティブなイメージを強く持たれているようにも感じられるのではないでしょうか。
また、そもそもの宗教という存在に対しての賛否という考えもあるでしょう。今回紹介する映画『異端者の家』は、二人の女性が遭遇する恐怖の体験を描く中でまさに「宗教とはなにか」という根本的な疑問を考えさせてくれるような物語であります。
【ヒュー・グラントの「らしさ」と「らしくなさ」に注目!】
本作の出演によりヒュー・グラントはゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされました。作品自体の質の高さとともに、本作における彼の立ち位置、立ち振る舞いには非常に興味をそそられるところであります。
グラントが演じる役柄が、当初どこか好感を持たせながらも徐々にその内に秘めた闇をあらわにしていく展開には、ゴア映画とは全く異なる恐怖を突き付けられるでしょう。
またその異質振りを示しながらも、どこかその役柄を「ヒュー・グラント」が演じる意味を強く感じさせているところ、彼の本質をこの物語に登場する異質なキャラクターとうまく重ね合わせて存在させているところに、この作品の際立ったポイントがあるといえます。
彼が若き日に出演した『ノッティングヒルの恋人』で見せたイケメン好青年の姿を引きずったままの人であれば、その彼に魅かれた気持ちを粉々に砕かれるようなショックすらおぼえるかもしれません、要注意……。
【概要】

二人のシスターがある男の屋敷に足を踏み入れ、その迷宮のような家で恐怖の運命に遭遇するさまを描くサイコスリラー。
『クワイエット・プレイス』で脚本を務めたスコット・ベック&ブライアン・ウッズのコンビが本作を手がけました。
超天才的な頭脳を持ちながら、どこか不穏な様子を見せる男性役をヒュー・グラントが担当。そして二人のシスター役を『ブギーマン』のソフィー・サッチャーと『フェイブルマンズ』のクロエ・イーストが演じます。
2024年製作/111分/R15+/アメリカ・カナダ合作
原題または英題:Heretic
配給:ハピネットファントム・スタジオ
劇場公開日:2025年4月25日
【監督・脚本】
スコット・ベック、ブライアン・ウッズ
【出演】
ヒュー・グラント、ソフィー・サッチャー、クロエ・イーストほか
【あらすじ】
家々をまわり布教活動に勤しむ若いシスターのパクストンとバーンズ。
彼女らは布教のため森の中の一軒家を訪れると、ドアベルに応じて出てきた優しげな男性リードが二人を家に招き入れる。
シスターたちが布教を始めると、リードは「どの宗教も真実とは思えない」と巧みに彼女らの言葉に反論を唱える。その不穏な空気を感じた二人は密かに帰ろうとするが、玄関の鍵は閉ざされており、携帯の電波もつながらない。
仕方なくリードに対して教会から呼び戻されたと嘘をつくも、「帰るには家の奥にある二つの扉のどちらかから出るしかない」とリードから言われてしまい……。
【『異端者の家』の感想・評価】
1.「すぐそこにある恐怖」身近にある不安感、恐怖を絶妙に描いたスリラー

シスターが布教に勤しむ住宅街、そしてそのはずれにある1件の家。なんの変哲もないはずの日常の中でふと現れる闇。スコット・ベック、ブライアン・ウッズの両監督は、彼らが短編映画を作るためのロケーション探しで訪れた1件の家での出来事が、本作の元となるエピソードとして存在していることを、「FANGORIA」のインタビュー取材で語っています。
作品にピッタリな場所を探したどり着いた家で出会った、好印象の老夫婦。室内は劇中のリードの家のように趣のある場所で和やかに会話を始めたものの、監督たちが「『世界の終わり』を描くつもり」と語ったとたんに彼らが予想外に興味を寄せてきたことに対して、異様な印象をおぼえたと振り返っています。
映画のストーリーとは一見関係のない出来事ではあるものの、そのエピソードはどこか心の底からジワジワと沸き上がってくるような不安感、恐怖感をおぼえさせるものであり、本作はその核心的な部分で共通したものを見出すことができる物語となっています。

また物語では、いきなりリードが狂気のままに暴れまわるようなところを見せるわけでもなく、力で女性たちをおさえるようなシーンはないにもかかわらず、その場の不安感を増長していきます。
二人のシスターの気持ちがそのまま見ている側に移ってくるように、見る者を恐怖感間で満たしていく。「なにが私を怖い思いにしているのか?」そんな不可解な恐怖感で満たされる物語となっています。
ちなみにスコット・ベック、ブライアン・ウッズ監督の過去作には映画『ホーンテッド 世界一怖いお化け屋敷』があり、この作品はイーライ・ロスがプロデュースしただけに過去のスラッシャー映画へのオマージュもあったりと、直接的な視覚に訴える効果に対しても才能を発揮しています。
一方で本作でもある意味グロテスクな印象をおぼえる表現を用いたシーンもありながら、全体的なバランスを重視した表現を用いており、センスの高い映像世界を構築している印象であります。
2.「宗教」というものの怖さ…その本質的な「怖さ」とは?

「信じることと信じないことの間で、私たちは少しだけ恐怖を共有しています。しかし、私たちを最も怖がらせるのは、その確信です。」
ブライアン・ウッズはメディアのインタビュー取材に対して、この物語の本質を上記のように語っています。
物語では自身の所属する宗教団体に招こうと語り掛ける二人のシスターに対して、フランクな口調ながらことごとくその勧誘を論破するリードが、どこか不審な様子を徐々に見せ始め、そして言動で予想だにしない方向へ展開を進めるわけですが、一方で彼の語る内容にはどこか正論性も見え、物語を異様な展開に進める重要なキーとして機能しています。
結果的に物語ではこの二つの対立、二人のシスターの語ったことが正しいのか、あるいはリードが正しいのかという結論を示す方向には進んでいません。しかし見方を変えれば、それはある意味健全であるようにも見えます。実際にこの二つの意見は両者ともに普遍的に存在しており、その対立があることで均衡を保っているといえるでしょう。
本作は宗教が存在することに対する議論というテーマを通して「すぐそこにある恐怖」、身近に存在している恐怖を描いているわけですが、ウッズのインタビューにおける発言はある意味その対立、均衡が崩れることへの危惧を恐怖として示している、とみることもできるでしょう。
物語のクライマックスに、シスターの一人はこのこと、つまり均衡が崩れた状態を発見し本当の恐怖を体験していくわけです。また彼女はこの均衡が崩れた状態を、言葉として異なる表現で表していることにも注目。考えてみると同じような意味でありながら、この恐怖にはそんな意味があるのかと驚かされるものでもあります。
直接的な表現で恐怖を期待すると肩透かしを食らうかもしれませんが、ある意味そのつもりで作品を堪能するほうがよいかもしれません。かえってそのほうが、自身の思ってもみなかったところから自身の無防備なところへ恐怖を突き付けられ、予想外の衝撃をおぼえられるかもしれません……。
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